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風評被害で言われた「福島の野菜なんて」 シイタケ農家が危機を乗り越えたうま煮の味 - 毎日新聞 - 毎日新聞

シイタケのゆず煮を作る増子正代さん=福島県矢祭町で、中嶋真希撮影

 原発事故の後、300円から10円まで値段が急落したシイタケ。生では売れなかったけれど、煮物にするとなぜか喜んでもらえた――。福島県矢祭町の「山のごちそう本舗」は、シイタケのうま煮や大根のゆず漬けなど、シイタケと地元野菜の加工品で東日本大震災後の危機的状況を乗り越えた。注文が絶えず、首都圏への出張販売では開店前から常連客が待つほどの人気だ。震災後の出張販売では「福島の野菜なんて」と言われて悔しい思いも経験したものの社長の増子正代さん(53)は、「震災後も、シイタケを続けて良かった」と胸を張る。【中嶋真希】

 「腰は曲がっているけど、高いところのものも取れる。昇降はしごみたいなもんだ」。正代さんの母八千代さん(87)が笑った。軽トラに乗り込み、自宅から近くのビニールハウスへ。1本6~7キロはある原木を持ち上げて運搬機に載せ、ハウスの中に運び込んだ後、小さな穴にシイタケ菌を詰めていった。人工の培地を使った「菌床栽培」ではなく、原木にシイタケ菌を打ち込む自然栽培。こだわりのシイタケは、木の栄養をたっぷりと吸い込みうまみが凝縮されている。正代さんは「運搬機も1人で運転するんだからすごい」と母親を尊敬する。正代さんは、八千代さんが正月に詠んだ句を笑いながら見せてくれた。「ポンコツの 婆ぁとなりて 春迎ふ」

 増子家の仕事は二つの柱で成り立っている。一つは八千代さんと、正代さんの兄大介さん(57)が担う「増子椎茸園」。もう一つは、シイタケや地元野菜の加工商品を作る正代さんの「山のごちそう本舗」だ。「これは、シイタケのゆず煮。こっちはシイタケのうま煮。最近人気があるのは、『山椒(さんしょう)の実しょうゆ漬ビリビリヤバイ漬MAX』。みんな辛いものが好きなのね」。加工場の中はシイタケとゆずの香りが漂っていた。

人気商品、シイタケのゆず煮=福島県矢祭町で、中嶋真希撮影

 加工品作りは、地元野菜の売り上げ増にも一役買っている。昨秋は、2カ月で地元の大根を2トン買い取った。「ゆず大根漬けは、2日おきに20キロ作ることも。それでも(出荷先の)お店に待っていてもらっている状態」と正代さん。「地元の農家さんは、商品にバーコードをつけたりネットで販売したりすることはできない。でも、最高においしい野菜を作る。買い取ることで、少しは貢献できているのかな」

開店前から客が待つ出張販売

 矢祭町では、特産品開発協議会が「矢祭もったいない市場」として首都圏で月に7回ほど特産品の出張販売を実施している。正代さんも毎月1回参加している。もったいない市場がある日は午前4時に起床。同5時を回るころ、農家の人たちが店頭に並べるための野菜などを運び込んでくる。商品を車に積み込むと、協議会スタッフの運転で片道3時間かけて東京へ向かう。

 登録している農家は約100軒。出品するのは1回のイベントで20~30軒だ。出張販売の日程を共有し、都合のよい日に出品する仕組みだ。商品ごとにバーコードが付けられ、出張販売の翌日には売り上げが支払われる。

 開店は毎回午前11時。しかし、その30分前にはすでに客が待っている。中には、新鮮な卵を購入して持ち帰ろうと、容器を持参する客も。開始からほんの1時間ほどで、野菜が山積みだったコンテナが半分近くになった。「ここで野菜を買うのが楽しみなの」。常連客の女性はこう話した。

シイタケを袋に詰める増子正代さん(左)と八千代さん=福島県矢祭町で、中嶋真希撮影

 ただ、ここまでの道のりは平たんではなかった。震災だ。

「福島です」と答えると、悲鳴を上げられた

 あの日、正代さんは娘を乗せて車を運転していた。大きな揺れに襲われ、娘と手を握り合った。幸いなことに自宅に被害はなかった。しかし、その後に起きた東京電力福島第1原発事故により風評被害に苦しめられることになった。

 事故の後、「原木シイタケは危ない」と言われるようになった。生シイタケを食べることを嫌う人が増え、売り上げは急減。さらに、福島県内のコナラが放射性物質による汚染で使えなくなり、原木を手に入れるのにも苦労するようになった。

 増子椎茸園は、秋田など他県から原木を取り寄せて、シイタケを作り続けた。放射性物質の検査を受けて安全を確認したシイタケを出荷していることを訴えるため、首都圏だけでなく関西にも通った。有名演歌歌手のコンサート会場や小学生の吹奏楽のステージなど、さまざまなイベントに出向き、マイクを持って安全性を訴えた。

 協議会は東京・竹橋で2009年から出張販売を始めている。正代さんもほどなくして参加するようになり、震災が起きた直後の11年4月にも出店した。応援してくれる人たちが駆けつけてくれた。「大変だったね」「よく来てくれた」。しかし、原発事故による風評被害が広まるにつれて、足が遠のく人たちが増えていった。

 売り上げが減ったことを心配した常連客が、友人を連れてきてくれたこともあった。「これ、どこの野菜?」と尋ねられ、「福島です」と答えると、「どうしてこんな場所に誘ったの」と悲鳴を上げて出て行った。「常連さんは、『ごめんなさい』と申し訳なさそうで……」。正代さんにとって忘れられないこととして心に残っている。

「シイタケ栽培を続けて良かった」

 生のシイタケへの抵抗はなかなか拭えなかった。しかし、シイタケの煮物を振る舞うと、喜んで口に運んでもらえた。「なぜかわからないけど、加工すると食べてくれた」。一念発起して、倉庫を加工場に改装。14年には会社を設立した。地元農家や出張販売で試食をしてもらい、意見をもらって改良を重ねた。

原木に生えるシイタケを見て、笑顔の増子正代さん=福島県矢祭町で、中嶋真希撮影

 そんな中、シイタケ作りを引っ張ってきた父が亡くなった。「がんばれ、自分」。正代さんは何度も声に出し、深夜まで加工場で作業を続けた。18年ごろから注文が増え始めた。この1年は、加工が追いつかないほどだ。

 八千代さんは「午後4時半まで働いて、お風呂に入って、食事して、ビールを1杯飲んで寝る」と決めている。一方の正代さんは夜が更けても調理場にこもる。連日のように入る注文で生産が追いつかない。ラベリングや袋詰めを手伝うアルバイトはいるけれど、調理は正代さんが担当する。「休み? 今年から、元日は休むことにした」。それでも「やっと軌道に乗ってきたから」と無我夢中だ。

 「みんなの情熱があるから続けられる」と正代さんは言う。「何回も矢祭と東京を車で往復してくれるスタッフと、それを受け入れてくれる場所がある。矢祭はすごいねとよく言われますよ」。そして胸を張る。「震災後も、シイタケ栽培を続けて良かった」

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March 23, 2020 at 06:30AM
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